◆宝石豆知識◆ クレオパトラも魅了された石 〜エメラルド〜 |
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【北加伊堂】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
硬度は7.5から8と、貴石の中でも硬いほうに分類されますが、内包物(インクルージョン)が多いために割れやすく、キズつきやすい繊細さも持ち合わせています。このインクルージョンは、クロムなどが結晶時に入り込んだもので、そのため結晶に無理を生じさせ、これがキズやもろさの原因となりますが、同時にエメラルドを鮮やかなグリーン色に染める存在にもなっています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
【北加伊堂】は宝石の中古品・新古品販売のお店です。 原則として債務整理関連の品物を取り扱っております。 その品物を、中間業者等を介さない弊社独自のルートで仕入れ、 またインターネットを利用することで、 無店舗販売による低コスト化を実現しました。 当店では現在、クレオパトラも魅了されたという石、 エメラルドのリングを、48,000円にて販売しております。 なお、このほかにも、数多くのジュエリーを 大変お求め安い価格にて皆様にご提供いたしております。 是非一度お立ち寄りください。 必ずいいものが見つかることでしょう。 (なお、当店の商品はすべて現品限りとなっておりますので、予めご了承ください。) |
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こちらからお入りください 【入口】 |
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クレオパトラ |
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紀元前48年の春、共同統治に不満を持つプトレマイオス13世がクレオパトラ7世をアレキサンドリアから追放する。おりしも、ポンペイウスを破ってエジプトに入ったユリウス・カエサルはクレオパトラ7世と密会すると、反ローマ勢力であったプトレマイオス13世を攻撃してナイル川に溺死させた。 プトレマイオス13世敗死後、クレオパトラ7世は別の弟プトレマイオス14世と結婚して共同統治を再開するが、カエサルとの間に情交を重ね、紀元前47年、息子カエサリオンをもうけた(カエサルの父親説については異論もある)。プトレマイオス14世との共同統治はカエサルの後ろ盾を得て成立しており、実際はカエサルの傀儡であるクレオパトラ7世による単独統治が実像であった。 紀元前46年、クレオパトラ7世とカエサリオンは、凱旋して独裁官に就任したカエサルに招聘されローマに滞在することになる。カエサルの庇護の下に平穏な日々を過ごすローマ滞在であったが、紀元前44年、カエサルが暗殺されるとクレオパトラ7世はカエサリオンを連れてエジプトに帰国した。 クレオパトラ7世は嫡子のいないカエサルの後継者にカエサリオンを望んでいたが、カエサルは庶子に当たるカエサリオンを後継者に指名することはなかった。紀元前46年、既にカエサルは遠縁の養子ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスを後継者と定めていたのである。 クレオパトラ7世のエジプト帰国前後、名目上の共同統治者であったプトレマイオス14世が死去すると(死因不明、クレオパトラ7世による毒殺説もある)、クレオパトラ7世は幼いカエサリオンを共同統治者に指名した(プトレマイオス15世、在位、紀元前44年9月2日−紀元前30年8月)。 エジプトとローマの同盟関係はクレオパトラ7世とカエサルの個人的信頼関係によるところが大きかったためエジプトはローマとの同盟政策を見直す。カエサル暗殺の混乱を経てオクタウィウスとマルクス・アントニウスの間に権力闘争が開始されると、クレオパトラ7世はアントニウスに接近した。アントニウスがエジプトに近接するシリアなどの東方地域に勢力を持っていたため、クレオパトラ7世はアントニウスと利害が一致しこれと同盟したのである。 エジプトと同盟したアントニウスは政略結婚していたオクタウィアヌスの姉オクタウィアと離婚し、アレキサンドリアでクレオパトラ7世とエジプト式の結婚式を挙げた。その後、2人の間に双子の男女ともう一人の男の子が誕生し、アントニウスはローマに帰還することなくアレキサンドリアに滞在し続けた。エジプト人のように振舞っているというアントニウスの噂に失望したローマ市民は、アントニウスとの決戦を望んでいたオクタウィアヌスを強く支持するようになった。 紀元前31年、クレオパトラ7世・アントニウス連合軍とオクタウィアヌスが率いるローマ軍がギリシャのアクティウムで激突する(アクティウムの海戦)。この海戦に敗れたアントニウスは、戦線を離脱してエジプトに帰還するクレオパトラ7世の船を追って敗走した。ローマ軍から、部下を置き去りにし女を追って戦場を後にしたと嘲笑されたアントニウスは、さらに追撃してきたローマ軍に完敗してアレキサンドリアに逃げ込んだ。 敗走の中でクレオパトラ7世死去の誤った情報に接したアントニウスは自殺を図り瀕死の状態でクレオパトラ7世の元に送られ息を引き取った。クレオパトラ7世自らはオクタウィアヌスに屈することを拒みコブラに身体を噛ませて自殺したと伝えられている。 エジプトを征服したオクタウィアヌスは、紀元前30年、捕らえていたカエサリオンを処刑しプトレマイオス朝を滅亡させると、自らファラオの称号を名乗りエジプトを皇帝直轄地(属州エジプト)としてローマに編入した。 フランスの哲学者ブレーズ・パスカルによれば、クレオパトラ7世がその美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したとして、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」と評した。一方、古代ローマ時代の歴史家プルタルコスはクレオパトラ7世を、複数の言語(ギリシャ語・エジプト語・シリア語・パルチア語・アラビア語など)に通じた政治・軍事・外交に長けた高貴で知的な女性として伝えている。 |
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